小倉城散策

城内の門跡(門跡めぐり)

大手門

城の玄関口となる門。立派な巨石を多用した、正門にふさわしい門。

槻門

読み方は「けやきもん」。藩主、公儀役人の他、家老や主な寺の住職のみが通行を許された門。

鉄門

読み方は「くろがねもん」。中老以下一般武士が通行した。現在の左半分が往時のもの。

多門口門

多門とは本来長屋の事で、本丸から北の丸への通り道の門。

西の口門

小倉城の裏門にあたり、二の丸から本丸と松の丸へ入る門。

虎の門

大手門、西の口門と並ぶ正門の一つで、天守から見て寅の方角にあるのでこの名がついた。

大手先門

現在の北九州市役所と小倉城庭園の間あたりにあった門。この門をくぐり、大手門へ向かった。

北口門

下屋敷(現在の小倉城庭園)から北の丸へ行く門。八坂神社の参道の門を入って右側が門跡。

卍の刻印

印の場所。槻門と鉄門の間の石垣下部に「卍」の刻印がある。これは築城時に、このあたりの石垣を請け負った家臣の家紋。

野面積み

城の石垣は中世に多く用いられた「野面積み(のづらづみ)」といい、主に当地の足立山系から運び出した自然石(野面石)を使用。戦国大名で乱世を知る忠興の自慢の一つだったと言われている。

着見櫓

小倉城の「着見櫓(つきみやぐら)」として櫓上にて沖からの通航船を監視した櫓やぐら。木造三重二層三階塔屋付、延べ330㎡の構造で、当時の場所にそのままの姿を再現している。

白洲灯台岩松翁記念塔 (城内の櫓)

明治初頭、長浜(小倉北区)の岩松助左衛門は、小倉沖の白洲(しらす)付近で船の遭難が相次ぐ事を見て灯台を建てようと私財を投じ義金を募って建設にかかったが、私設灯台禁止により政府の手ですすめられ、完成前に灯台を見る事なく亡くなった。
この塔は岩松翁が設計した白州灯台を模したものです。昭和38年、5市合併による北九州市誕生に合わせ翁の遺徳を偲ぶと共に水難救助のため尽くした功績を顕彰するためにこの地に建てられました。京町4丁目にある再顕寺(さいけんじ)には助左衛門の墓があります。

城内の塚

小倉城庭園の入り口近くに三つの塚が並んでいます。

花塚

 昭和三十六年に、北九州いけばな協会の前身である北九州華道連盟により建立された。この碑は、愛すべき花の霊を供養し また花道人の心の支えとなっている。昭和五十四年から小倉北花道協会が引き続き毎年十月の小倉城まつりに花供養を行っている。

茶筌塚

 読み方は「ちゃせんづか」。『茶道に親しむもの 古筌を全て是れに集め 供養のために焼く小笠原古流・千家表・裏流を始め旧小倉市茶道協会有志により昭和三十五年十二月四日建立。

筆塚

 毎年十月に使えなくなった筆を献じ筆供養を行う。碑の「筆塚」の刻字は小笠原藩の名書家下枝董村の筆跡から二字が選ばれた。昭和四十年四月に文化の振興を祈念して小倉城筆塚建立委員会により建立。

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